目撃者の証言

大要

エドガー・ミッチェル宇宙飛行士:1998年5月

1971年2月、エドガー・ミッチェル宇宙飛行士はアポロ14号に乗り、月を歩いた6番目の男となった。証言の中で、彼は墜落した乗り物や復旧された材料や肉体とは別に、地球上にETが訪問している事実を認めている。彼はまた50年以上に渡ってこの問題を取り巻いている隠蔽工作と、それに対して政府のコントロールが欠如していることについても語っている。彼は地球の未来と高まりゆく環境危機の現実を懸念している。

コラッド・バルドゥチ司教:2000年9月

バルドゥチ司教はバチカンの神学者で法王の内部サークルの一員である。彼はイタリアのテレビに数多く出演し、地球外コンタクトは本物の現象であり、「心理的欠陥によるものではない」と表明している。証言の中で彼は、一般大衆だけでなく非常に信頼のおける地位も教養も高い人々がますますこれが本物の現象であることに気づいていると説明している。彼は地球外の人々も神の創造の一部であり、天使でも悪魔でもないとも述べている。しかし彼らはおそらく霊的にもっと進化している。

レーダーとパイロットの事例

序文

(グリア博士による報告の編集)

この章は特にパイロットによる遭遇、レーダーによる目撃を扱う。指摘しておかなければならないのは、何十年もの間、UFO問題について懐疑的だった人々は、もしその物体が現実であれば、レーダーに捉えられるはずだと確言していたということだ。われわれは、空軍、海軍、海兵隊、陸軍、国内外の民間組織の航空管制官やパイロットがこれらの物体をレーダーで捉えたという20以上の証言を得ている。彼らは、この物体が観測気球ではなかったことを強調している。大気現象でもガスでもなかった。時速何千マイルで飛ぶ飛行船であり、突然ストップし、曲線的に動き回る。これらの物体は何百マイルもの距離をレーダーが一回転する間に移動する。それは固形物である。金属製であり、はっきりとレーダーに捉えられる。

これは一人や二人による目撃ではなく、証拠を検査するなら非常に真剣に考慮しなければならない。10人以上の目撃者が、この物体がレーダーに捉えられ、ときには10個のレーダーが同時に捉えたと証言していることは、われわれが扱っているのは現実の物質的な乗り物であることを意味する。想像上のものでも幻影でもなく、無視できるものでもない。

チャールズ・ブラウン空軍大佐が指摘しているとおり、1950年まで遡るAir Force Project Grudgeはこれらの物体を地上レーダー、地上からの肉眼、空中レーダー、空中からの肉眼によって確認していた。目撃者の多くはこれらの物体が何夜にもわたって同じ領域に戻ってくるのを観測しており、機器の技術的障害のために起こる現象ではないことを熱心に確かめていた。

これはもちろん途方もないことである。これらの目撃証言は、レーダーの痕跡がないからその物体は存在しないのだという議論に永久に終止符を打つことになる。われわれはこれらの出来事の文書を持っている。われわれは1940年代から1990年代にわたってこれらの出来事の内側にいた人々を証人として持っている。

ジョン・カラハンFAA Division Chief:2000年10月

6年間カラハン氏はワシントンのFAA事故調査部門の部長をしていた。証言の中で彼は、1986年にアラスカ上空で31分間UFOに追跡された日本航空747便について語っている。UFOはまたユナイテッド航空便も着陸するまで追跡した。空中でも地上でもレーダーによって確認された。この出来事の重大性から当時のFAA長官エンゲン提督は翌日FBI,CIA、レーガン大統領の科学調査隊に報告を行った。レーダーの証拠ビデオ、航空管制官との会話のテープ、そしてペーパーが提示された。会合の終わりに、出席していたCIAのメンバーがその場の全員に「この会合はなかったこと」そして「この出来事は記録に残さないこと」を指示した。他の証拠がないことを確認してから彼らは提示された証拠を没収したが、カラハン氏はこの出来事のビデオとオーディオテープを保存していた。

JC:ジョン・カラハン部長、SG:スティーブ・グレア博士

JC:747便は天候を感知するためのレーダーを備えていました。そのレーダーが目的物を捉えたのです。パイロットは肉眼でそれを見ました。その目的物は、彼の言葉によれば、巨大なボールのようで周りには光が巡っていました。彼は、それは747よりも4倍巨大だったと言ったのです!

そして軍の人間が、そうだ、アンカレッジの北35マイルのところに見えると言いました。

UFOは747の周りを飛んでいました。それから軍人が、その位置を特定すると言いました。軍のコントローラーは、高度探索レーダーと、長い範囲のレーダー、短い範囲のレーダーを持っていました。どちらかで特定できない場合はもう一方を使うのです。軍人の声は、レーダーで目的物を捉えたことを示しています。それは31分間続きました。

翌日、私はレーガン大統領の科学調査隊かCIAから電話を受けました。彼らはその事件について質問しました。私は、あなたの言っていることは分からない、提督(エンゲンFAA長官)に電話すればいいのではないかと言いました。

数分後、提督から電話があり、明日の朝9時に会議室で報告を行うと言われました。スタッフを皆集めるように言われました。彼らの求めるものは何でも渡すようにとのことでした。そこで私は全員を連れて行きました。あらゆるデーター・ボックスからデーターを打ち出し、部屋いっぱいに並べました。FBIから3人、CIAから3人、レーガンの科学調査隊から3人が来ました。それ以外の人々については知りませんが、彼らは皆興奮していました。

報告が終わると、彼らはその場にいた全員に、このことはなかったと誓わせました。この会合はなかった、絶対に記録も残すなというのです。

SG:誰がそう言ったのですか?

JC:CIAの一人です。このことは決して起こらなかったのだというのです。私は、なぜそんなことをおっしゃるのか分かりませんと言いました。私は、それが爆弾でないとしたらUFOだと思いました。UFOだとすれば、なぜ人々にそれを知らせないのか? 彼らはひどく興奮しました。彼は、レーダーで30分もUFOを捉えたのは初めてだと言いました。彼らはデーターを貪るように見て、その出来事について知りたがっていました。彼は、アメリカの大衆にUFOと遭遇したと告げたら、国中がパニックになるだろうと言いました。だから、話すことはできないというのです。そして彼らはすべてのデーターを持ち去りました

FAAの報告書では、それは「目的物」ではなく「位置の標識」となっています。私はそれを読んだとき、これは何かおかしい、誰かが何かを隠したがっていると思いました。

CIAがこの会合はなかったのだと言ったとき、私は彼らは大衆に起こっていることを知らせたくないのだと思いました。

テレビでUFOを見たと言う人々はみなちょっと変わった人間ばかりです。知識人や大学教授がUFOを見たなどと話すことはありません。だから、UFOを見たなどと言うと、おかしな人間の部類に入れられることになります。しかし私に関する限り、UFOが日本の747便を30分間追跡したのを見たのです。それは私が知っている何よりも速く飛びました。

私はFAAで多くの隠蔽工作に関わりました。レーガンのスタッフに報告したとき私はグループの後ろにいました。彼らが部屋の人々に、すべての人々にこれは決して起こらなかったと誓わせました。しかし私には誓わせなかったのです。ラジオやテレビでニュースを聞きながら、それについて黙っているのは辛いことでした。

私はそのすべてを見て知ってるのに、誰も私に尋ねようとしないのはいまだに辛いことです。苛立ちさえ覚えます。政府はこのやり方を続けるべきではないと思います。UFOがこれほど速い乗り物を持っているのなら、彼らが人々の幸福のためにどれだけのことができるか想像もつきません。彼らはわれわれよりも多くのことを知っているに違いありません。

もしもUFOが存在するなら、それがレーダーに捉えられ、専門家が調べるに違いないという人々がいますが、1986年にはすでに十分の専門家が調べていたのです。それはワシントンのFAA司令部に報告されていました。われわれが報告したレーガンの科学調査隊の教授たちはそれを見たのです。私に関して言えば、彼らのおかげで私の考えが確証できました。彼らはそのデータを見て非常に興奮したのです。彼らは、UFOが30分もの長い間レーダーに記録されたのは初めてだと言いました。

私が言うことのできるのは自分の目で見たものです。私はビデオテープを持っています。録音テープも持っています。私の言うことを確認できる報告書も持っています。それに私はFAAのいわゆる政府高官です。私は部長で、提督から3ランクか4ランク下の地位にいたのです

チャック・ソレルス軍曹:アメリカ空軍(退役)、2000年12月

チャック・ソレルスは1965年エドワード空軍基地にいた。そこで少なくとも7体のUFOが基地上空に現れ、途方もない速度で信じがたい動きをした。直角旋回など当時の航空機には不可能な運転であった。複数のレーダーでも捉えられ、数名が肉眼で目撃し、特別隊がUFOを遮るために集められた。この出来事は5,6時間続いた。その模様を記録した録音テープが残っている。

マイケル・W・スミス:アメリカ空軍、2000年11月

マイケル・スミスは航空管制官で、オレゴンからミシガンに移動した。どちらの施設でも複数の職員がUFOが途方もない速さで動くのをレーダーで目撃した。職員はそれについて秘密保持を求められ、NORAD(北米防空司令部)はこれらの出来事を完全に知らされていた。ミシガンの事件ではNORADが完全に関与し、UFOの周囲にいたB52が基地に帰還を命じられた。

グラハム・ベチューン司令官:アメリカ海軍(退役)、2000年11月

グラハム・ベチューン司令官は海軍パイロットで、トップ・シークレットに照会することができた。彼はVIP機の操縦士で、ワシントンからほとんどの高官や民間人を乗せて飛んだ。証言の中で彼はVIPの一団や他のパイロットを乗せてアルゼンチンのニューファンドランドに向かっているとき、彼ら全員が一万フィート上空に全長300フィートのUFOを目撃し、レーダーでも捉えたことを語っている。彼はその出来事を詳細に文書化した。

エンリケ・コルベック:上級航空管制官、2000年10月

エンリケ・コルベック氏はメキシコ・シティ国際空港の上級航空管制官である。証言の中で彼は、空港で頻繁にUFOを肉眼とレーダーで目撃したと語っている。それらは途方もない速度で回転し、ほとんど瞬時のヘアピン・ターンを行った。空港の140の航空管制官のうち、五〇人以上がこの現象を見たと彼は推測している。ある目撃では、32人の管制官が同じ赤と白の光が同時に着陸する航空機の周りを動いているのを見た。メキシコの4つの管制センターすべてからUFOについての報告が来ている。

リチャード・ハインズ博士:2000年11月

ハインズ博士は1960年代半ばにNASAで科学調査員をしていた。彼はジェミニ、アポロ、スカイラブ計画でも仕事をしたことがある。過去30年間、彼は300以上の説明不可能な空中での現象の目撃事例(肉眼、レーダー)を集めている。数多くの海外での事例も文献に登場し、アメリカの報告と非常に類似していると彼は述べる。アメリカでのある事例では、あるB52の機長は5つの球体が左右の翼の先端、後部、上部に現れ、同じ速度と高度でついてきたと語っている。機長はさまざまな運転で球体を振り切ろうとしたが、それぞれの物体は正確な位置を保ち続けた。他の事例ではパイロットがUFOの透明な船体越しに内部の詳細を見ている。

フランクリン・カーター:アメリカ海軍、2000年12月

カーター氏はレーダー技術者として50年代と60年代に海軍で働いた。彼は時速3400マイルで動く物体と明らかにレーダーで接触したと語っている。1957年と1958年に、他のレーダー技術士もこの異常に高速の物体を目撃している。当時、最も速い航空機は時速1100マイルであった。ある事例では空軍の操縦士がUFOが300から400マイル上空を飛んでいるのを見た。レーダーを製造していたジェネラル・エレクトリック社にこうした報告が繰り返し入ると、技術者が派遣され、レーダーの捕獲高度を12から15マイルに制限しないよう機械を修正した。

ニール・ダニエルズ:エアライン社パイロット、2000年11月

ダニエルズ氏は59年間に3万を超えるフライトを行ったパイロットである。彼は空軍に入り、B17機の操縦士として29回の任務を遂行した。空軍を除隊した後、35年間ユナイテッド航空で働いた。彼は1977年3月にサンフランシスコからボストンへのフライトを行ったときのことを語っている。飛行機が自動操縦になったとき、機体が左に傾いた。窓の外を見ると明るい光が見えた。第一、第二操縦士も同じものを見た。彼らは三つのコンパスすべてが異なった方向を示していたことに困惑した。

ロベルト・ブラジナ軍曹(退役):2000年8月

ブラジナ氏はトップ・シークレットに照会できた退役軍人である。彼は世界中に核兵器を輸送する仕事をしていた。彼は夜空に信じがたい速さで運転されるUFOを個人的に目撃している。別の時、彼と747機の民間人は共にレーダー・スクリーン上に時速約1万マイルで彼らの方に向かってくる物体を見ている。

フレデリック・マーシャル・フォックス准将:アメリカ海軍(退役)、2000年9月

フレデリック・フォックスは60年代に海軍で戦闘機に乗っていた。トップ・シークレットのクリアランスを持ち、、ベトナムにも従軍した。33年間アメリカン航空で働き、引退した。証言の中で彼は、JANAP 146 Eと呼ばれる出版物があり、そこにはUFO現象に関する情報を暴露したものには1万ドル以下の罰金と10年の懲役を科すと記されていた。1964年、A4スカイホーク機で飛んでいるときに、突然30フィートほどの黒い円盤形の物体が左側に現れたと言う。また任期中に、円盤形や葉巻型のUFOが軍事施設の上を飛んでいるのを数多く目撃し、ある時には二つの赤い光が3秒間で夜空を地平線から地平線まで移動したという。彼は馬鹿にされるのを恐れてこの話題を他の人の前で持ち出さなかった。

マッシモ・ポッジ機長:2000年9月

ポッジ機長は747機の上級機長である。1999年7月にローマからサンパウロに向かっているとき、彼は747機の500フィート下方に明るい緑色の光の輪を目撃した。UFOが下を通過するとき飛行機は突然飛び上がった。この体験の間、ヘッドホンからは非常に騒がしい雑音が聞こえた。別の時、1992年にイタリアのツーリン上空を飛んでいるとき、彼は遠方に楕円形の物体が静止したまま空中に留まっているのを見た。彼はこのUFOを望遠レンズで見た。同僚のパイロットに話しかけようと横を向いたすきに、それは消えてしまった。

ボブ・ウォーカー中尉:アメリカ陸軍、2000年9月

ウォーカー中尉は陸軍第二中尉であった。第二次大戦後、NASA (当時は NACA)で彼は30フィートの円盤状の乗り物が研究用にドイツから運ばれてくるのを見た。他の機会には、テレビ局へと飛行機を操縦していると西側から円形の物体がやってきた。彼はカメラを持ってその写真を撮るために1万2千フィート上昇した。着陸した後、すぐに写真を現像して引き延ばした。その物体はフットボールのような形の銀色の物体で、両端に点がついていた。彼のフィルムは尋常でない状況で取り上げられた。証言の中で彼はケンタッキー州キャンベルの近くで夕食を取っていると閣僚たちが近くの農場に円盤が着陸したと話しているのを聞いた。その地域には非常線が張られた。怯えた農場主がそこにいた生物を撃ち殺した。

ドン・ボックルマン:アメリカ陸軍、2000年9月

ボックルマン氏は陸軍の電気技術者だった。システム分析者としてNike Herculesミサイルの仕事もしていた。彼は二年間ハニーウェルで働き、核魚雷を作っていた。彼はさまざまなレーダー技師から、時速3500マイル以上で動く物体についての説明を聞いたことがある。その中のあるものは不可能なほどの急旋回を行った。ある時彼はWAのマウント・ベルモン近くで空軍ミサイルがそれを撃墜しようとしたのを目撃している。

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