ET、UFOに関する秘密公開運動の経過


1990年9月にCSETIが設立され、1993年7月スターライト・プロジェクトが始まってから現在までの主な政治的活動は次のようなものです。

·  1993年、夏

「CSETIの助言者と軍関係のコンサルタントは米国政府に対して、いかに親頼できる接触点を見つける事ができるかを討議するために集まった。これが必要に感じたのは、何回もの、CSETIによる第5種接近遭遇が行なわれた折り、チーム・メンバーの何人かが、第5種接近遭遇の際の秘密プロジェクト・グループによる妨害を心配したからである。 そして、この時点で対抗計画が建てられた。その計画とは、

  • ET、UFOについての最も明確な証拠を見つけて集めること
  • 最高機密のプロジェクトで働く軍、情報機関の証人で我々の前へ進み出て、知っていることを公表したいという強い意志を持った人を見つけること
  • 近い将来のET、UFOに関する秘密公開の説明会を提案し開催するであろう現政権の要職にある人と軍関係者に説明と助言を与えることのできるチームを作ること

等々である。」

これは、スティーブ・グレアの経過報告書の主要な部分を訳したものです。

·  1993年9月ー12月

「この計画は実行され統合参謀本部の要人の助けでライトパターソン空軍基地を舞台に、そこに所在する秘密組織、海外航空科学技術センターと会合を持った。(この組織は以前、海外技術センターと呼ばれ、1940年代にはニューメキシコ州に墜落したUFOの残骸が送られた所であり、現在は国立空軍情報センターと呼ばれている。)」

「最終的には何人ものコンサルタントがこの説明会と公開プロセスについての討論に参加し、国家安全保障シンクタンクの責任者や大統領の友人、そして更にクリントン政権の要職にある人々にまで及んだ。その一人は中央情報局(CIA)長官のジェイムス・ウールズィーである。」

「この時点で、この公開を米国政府の協力で行なうことが米国にとって、そして全世界にとって最良であることを感じた。残念ながら中央情報局(CIA)長官や、大統領顧問や国防省の要人など、現政権の要職にある人々ですら、ET、UFOに関係している極秘「ブラック」プロジェクトを探ることが難しいことがわかった。」

「中央情報局(CIA)長官ウールズィーが指摘したように彼等は知らないことやアクセスできないことを公開できない。副法務長官であり大統領の近い友人であったウェブスター・ハブルはUFOについての調査をするように大統領に依頼された。ハブルはNORAD、その他から得た情報をもとにした解答に満足しなかった。」

「我々の最高司令官である、大統領とその側近がUFOに関する説明を受ける充分な、高度なセキュリティー・クリアランスを持っていないと言う事実は聞き捨てならない話である。米国、海外そして国連の指導者に対する数回に渡る説明会のあとに次のことが明らかになった。

  • これらの指導者は意図的にET、UFOに関する情報から遠ざけられている
  • 彼等はET、UFOに関わっている秘密の組織を捕り押えようとする勇気も政治的な意志も持っていない

更に多くのET、UFOに関する情報を持っている証人や記録、そして証拠が見つかるにつれ、もし大統領命令が、この秘密をやめさせ、公開にふみきれないならば、次の最善の方策はET、UFOに関する公開審問を開催できる国会議員を見つけることであると考えるようになった。」

これは、スティーブ・グレアの経過報告書の主要な部分を訳したものです。

·  1993年12月

1998年1月5日のアート・ベル・ショウでスティーブ・グレアーは1993年12月13日に、時の米国中央情報局(CIA)の長官ウールズイーと個人的に会い、3時間に渡りET、UFOの波及効果について話し合ったことを初めて明らかにした。以下はアート・ベル・ショウでの会話の翻訳である。

スティーブ・グレア「クリントンが大統領になった直後の1993年、政府の要人にET、UFOに関することを助言するため、CSETIはスターライトと言うプロジェクトを始めました。政府要人がET、UFOを取り巻く秘密主義をやめ、すべてを公開するよう勇気ずけるためです。そして短期間の間にかなりの重要な会合を持つことが出来ました。1993年12月13日、クリントンが政権について数ヶ月後の ことですが、私はワシントンのアーリントンにあるタウンハウスに行って、その時の中央情報局(CIA)の長官ジェイムス・ウールズィーに会うように要請されました。出かける前に、私がUFOについて中央情報局(CIA)の長官に説明する初めての人物になるだろうと言われました。ウールズィーはUFOに興味があり、調査する価値があると感じていましたが、中央情報局の長官であるにもかかわらず何の情報も見つけることは出来なかったようです。」

アート・ベル「ドクター、ウールズィーは大統領に言われてその会合を持ったのでしょうか。」

スティーブ・グレア「そう言いたい所ですが、大統領によってこの特別な会合が設定されたとは言えません。ただ、私が真剣にその会合に望んだと言うことは強調したいですね。中央情報局(CIA)長官は毎日、多岐に渡る情報を分析し、大統領に助言をしている訳けですから。もうひとつ言いたいことは、この会合が5分や10分で終わったと言う即興的なものではなく、3時間近くもかかったと言うことです。私がUFOについてこのような人と会合する最初の人物だと、出かける前に言 われた時の驚きが想像できると思います。会合は中央情報局(CIA)長官とその夫人、この会合をお膳立てした人物とその夫人、そして私と家内の6人で、夕食時に行なわれました。私はUFOに関する現状をすべて話しました。科学的な証拠、極めて異常な政府組織内の危機などです。政府の高官が何も知らないと言う事実がこの危機を証明していると思います。つまり中央情報局(CIA)長官が調査をしたが満足できる答えが得られなかったと言うことです。この放送を聞いている人に思い起こしてもらいたいことがあります。それは、ウェブスター・ハブルがその著作に書いていることです。クリントン大統領はハブルにUFOのことを調査するように依頼したのですが、その答えには満足しなかったことです。それはまさに婉曲的な言い方ですけど、彼らは検討するのに十分な情報を与えられていないと感じているか、嘘をつかれていると感じていると言うことです。確かに、取り返しのつかない大問題です。」

アート・ベル「ドクター、今夜の放送の最初の1時間の討議の結論は、本質的には2つの政府が存在していると言うことでした。ひとつは我々が選挙で選んだ政府、そしてもう一つは隠れたところで糸をあやつっ ている政府です。もし米国大統領が自分の指揮下の大きな政府組織から取り得ない情報を中央情報局(CIA)長官をスティーブ・グレアと会わせることで得なければならないとしたら、このことを正に証明していますね。」

この出来事、思いがけない中央情報局(CIA)長官とのET、UFOに関する会合がスティーブ・グレアーのその後の調査、活動に大きな力とヒントを与えたようです。 これはMonday 5th January 1998 の Download Transcript(second hour) の一部を訳したものです。

·  1996年11月 誓約の無効を確認する書簡を大統領に送付

CSETIの活動を通して、スティーブ・グレアはかなりの数のET、UFOに関わる直接体験者に会ったようだ。それらの証人は「ET、UFOに関することについては秘密を守り誰にも公開しない」と言う誓約をしているため、公開した場合の刑罰や懲罰について恐れていたようだ。

スティーブ・グレアの見解はそのような誓約によって秘密を守らせようとしているプロジェクトそのものがアメリカ合州国の憲法に違反していて、そのプロジェクトのためのいかなる誓約も無効であって、それを破ったからといって、刑罰や懲罰を受ける根拠がないと言うものであり、このスティーブ・グレアの見解を確認するため、主な政府機関に期限付きの書簡を送付した。

1996年11月15日付で大統領を始め米国政府の主要機関の最高責任者に送られた書簡の中で、スティーブ・グレアは期限を1997年1月1日に設定し、その期限内に政府から「何も返事がない場合」は、スティーブ・グレアの見解に同意していて、証人は自由に話しても刑罰や懲罰を受けることはないとみなした。

「何も返事がない場合」と言う形式は政府や軍では良く使われていて、その書簡の内容に関して公の返事、指図がない場合はその書簡に書れている内容を受け取り人が認めたとみなすことである。

1997年1月1日の正午までに、米国政府からその書簡に関しての何の返事も受け取らなかったスティーブ・グレアは、書簡の趣旨である「誓約の無効」が認められたとみなした。

実際の書簡はCSETIのホームページにあります。

·  1997年4月 ワシントンで議員説明会を開催

「何も返事がない場合」と言う形式の書簡に対する返事がないことを確認したCSETIは 1997年の4月にあらかじめ予定していた議員説明会を首都のワシントンで開いた。

「1997年4月7日から11日にかけて、CSETIは首都ワシントンのウェスティン・ホテルで20人近くの政府機関で働くET、UFOに関する直接体験者を集めて説明会を開いた、この場所以外でも、国防省、その他で説明会を行なった。 これらの証人全員は米国議会の公開審問で誓約のもと、彼らのET、U FOに関する直接体験を進んで証言することに同意、署名している。こ れらの証人の関わっている年代は1950年代から1990年代の間で、関わったプロジェクトは陸、海、空軍、NASAそして民間企業や情報機関へと広がっている。」

「4月9日の夜7時45分から10時まで行なわれた説明会には、30人の議員が自分、自らあるいはそのスタッフを出席させた。その他、大統領府や外国の大使館、政府機関で働く科学者、そして2つの州の知事から送られた代表者、その他かなりの著名人が出席した。」

「この説明会で使われた資料は多くの科学的に証明された事件や数千の中から選ばれた250ページに渡るET、UFOに関する米国政府の書類からなり、その大部分は1994年にCIAから得たものである。」

「出席者はこの他、40年間の世界6大陸にまたがる数々のUFOの写真、ビデオ、映画などを見た。」

「1時間半以上にわたって行なわれた政府や軍の証人の証言は、

  • ハーバード大学のSETIの施設でETの信号を受信した時に居合 わせた世界に知られた天文学者の話
  • UFO墜落現場から回収された金属破片を見たアイゼンハワー大統領の軍の最高機密を扱っていた証人の話
  • 公開される時には消されることになっている、昼間のあかるさにはっきりと写っているUFOの写真を見たNASAの証人の話
  • 東の海岸線で起こった、人工衛星やレーダーに補足され、ジェット戦闘機に追跡され、最後には昼間の鮮明な写真に撮られた1981年のUFOを体験した海軍関係者の話

等々である。」

「説明会の最後である議員のスタッフが前に進み出て、このET、UFOに関することの公開に向け第一歩を踏み出すよう出席者に呼びかけた。この歴史的な説明会に出席した多くの議員やその代表はこの運動を更に進めて、出来るだけ早い時期に、米国議会で公開審問を行うことを我々と協力して推進して行きたいと申し出てきた。」

「この時参加者に提出された資料は、CSETIの説明資料、UFOの写真を集めたビデオ、UFOを捕らたビデオと映画、1965年のエドワード基地におけるUFO追跡の時の航空管制塔での録音とその書き出し。」

「1997年4月10日朝10時からは、国防省で軍高官に対する説明会を行なった。スティーブ・グレア、宇宙飛行士エドガー・ミチェル、サリ・アダミアク、CSETIの軍関係のコンサルタント、アイゼンハワー時代のET、UFOに関する直接体験者とCSETIチームが出席した。この歴史的な説明会は1時間か1時間半ほどかかったが、出席した国防省の高官は熱心に聞き入っていた。」

「その日の夜は報道関係者を対象にこの説明会の背景を説明した。出席した報道関係者はUPI、ボストン・グローブ、NBC、ABC、BBCなどである。7人のET、UFOに関する直接体験者がこれらの報道関係者に対して証言をし、スティーブ・グレアが全体の説明を行なった。その後、質疑応答を行なった。」

これは、スティーブ・グレアーの経過報告書の重要な部分を訳したものです。残念ながら、現在はアクセスできません。

この説明会についてはボストン・グローブの翌日の紙面に掲載された。

·  1997年12月24日 米国議会での審問を要請する書簡を送付

1997年4月行なわれた議員説明会の次のステップとして、1997年12月24日、CSETIはET、UFOに関して議会が公開審問を開催するよう、内容証明の書簡を主な米国議会の委員会の議長に送付した。

スティーブ・グレアのこの時点での活動の最大の目標はこの公開審問を米国議会に開かせることにある。1997年の時点で100人以上いると言われている、何らかの形でET、UFOに関することに直接関わった、あるいは現在直接に関わっている証人に議会で証言させようとしている。そして今まで秘密にされていた、ET、UFOの存在とそれに関連したプロジェクトを公開し、その後すべてのET、UFOに関するプロジェクトを米国憲法のもとに運用するように提案している。それと同時に、今後どのように全世界の人々がETとその先進技術に関わって行ったらよいかも提案している。

以下はその書簡の重要な部分の日本語訳である。

CSETIはここに正式に、次の議会の開会当初にET、UFOに関する公開審問を開催するよう要請する。ここに同封した資料の他、膨大な詳細説明書と共に、議会で誓約のもとに証言したいと言う善意を持った軍あるいは政府の情報機関で働いている直接体験者の名前を提供することが出来る。この国にとって英雄であるこれらの証人はET、UFOに関する直接の知識を議会と米国民にぜひ公開したいと思っている。ここに謹んで次の質問に答えてくれるよう要請する。

  • あなたの委員会はこのET、UFOに関する基本的な説明を受けたいですか。
  • もしそうでないとしたら、それはなぜですか。
  • あなたの委員会はこのET、UFOに関する公開審問を開くのに賛同しますか。
  • もしそうでないとしたら、それはなぜですか。

CSETIと軍関係の証人、科学者、研究者の世界的なネットワークはいつでもあなたがたの都合のよいときに説明できるよう、万全な準備ができている。米国民そして世界の人々はET、UFOに関する真実を知りたいと願っている。我々はここに次の議会で我々が選出した代表 者が米国民を代表して、憲法で定められた権利を行使しET、UFOに関することを公開するよう要請する。

 
スティーブ・グレア    M.D.
CSETIインターナショナル・ディレクター

添付資料

  • CSETI説明資料ーCSETIの調査、経過報告書とUFOに関する政府機関の書類
  • 昨年の4月に首都ワシントンで行なわれたCSETI議員説明会の時撮った軍関係の証人の証言ビデオテープ
  • UFOの映像を捕らえたビデオテープ
  • 1965年に起こったエドワード空軍基地のUFO追跡の時の録音テープとその書き出し
  • 昨年4月9日のCSETIの首都ワシントン議員説明会の報告書

実際の書簡はCSETIのホームページにあります。

·  1998年4月 ET、UFOの公開を私的なイベントに変更

「1997年4月以降も主要な議会の委員会の議長に対して説明会を行なった。個人的にも多くの議員に会った。主要な委員会の議長は充分な説明と揺るがすことのできない証拠、そして最高機密を知っているの証人の証言を、直接あるいはビデオテープで与えられた。しかしこれらの指導者は自分の委員会でこのようなET、UFOに関することを取り上げたがらなかった。」

「この公開プロセスは遅らせることはできない。 国会の召喚令状なしでは多くの証人は一歩を踏みだす気にはなれない。しかし、最も勇気のある、堅い決意を持った政府機関の証人は政府を離れて我々と一緒に、一歩を踏みだそうとしている。これらの勇気ある証人により我々は私的な市民に支えられたプロセスとしてET、UFOの真実を最も信頼性の高い、最も効果的な方法で公開する。」

「これはワールド・ニュース・コンファレンス、いくつかにわかれたプライム・タイムの公開ドキュメンタリー・シリーズ、概説をまとめた本、そして世界科学サミット、からなる。 皮肉にも、数多くの議員、大統領府の要人、統合参謀本部の要人は政府を通り越して、証拠と証人で一歩をふみだすよう推薦している。そして我々は一旦これが始まれば、公開審問の可能性が高くなることを議員の何人かに言われた。」

「公開の要素は

  • 何回かに渡るプライム・タイムにおけるメイジャー・ネットワークによるドキュメンタリー・シリーズで最善の科学的な証拠、最高機密を知っている証人による証言
  • 概説を書いた本の出版
  • 記者会見
  • 公開の後、すべての証拠を調査し、その後の研究と行動を助言するための世界的なET、UFOに関する科学コンファレンス

等々である。

公開に発表される証拠の基準は

  • 最高機密プロジェクトで働く、政府機関あるいは航空産業からの証人による疑いの無いET、UFOに関する事件やプロジェクトの内容
  • 長い間、秘密にされていたET、UFOに関する信頼性の極めて高い政府機関の文書
  • 疑う余地のない、厳選中立に分析されたET、UFOの写真、ビデオ、そして映画
  • ETによって造られた材料で科学的に厳選中立に分析されたもの

等々である。」

これは、スティーブ・グレアーの経過報告書の主要な部分を訳したものです。

·  1999年1月 証人のアーカイブ・プロジェクトを開始

「ET、UFOに関する最高機密プロジェクトに関わったことのある、あるいは現在関わっている証人は200人に達し、彼等の歴史的な話しを適切に記録、保存しておく必要を感じた。」

「スティーブ・スピルバーグがホロコーストから生き残った証人のドキュメンタリー・フィルムを制作したように、人類史上最も重要な出来事を体験した人々の驚くべき体験談を記録しておくことに人道的な責任を感じている。これらの証人は軍、情報機関、国防省、そして航空機産業で働いたことのある人々で、その何人かは70歳、80歳の高齢である。」

「この証人アーカイブ・プロジェクトはこれらの重要な政府で働くUFOの証人による証言を見つけ、綿密に調べ、プロの技術者がディジタル・ビデオテープやオディオテープに記録するという世界的なキャンぺーンである。このためにCSETIは15万ドルの資金を集める目標を設定した。この資金は次の目的に使われる。

  • これらの証人を見つけ、その背景をチェックし、綿密な調査をすること
  • 最新技術によるディジタル・ビデオテープとオーディオテープを携えてこれらの証人にインタビューをしその証言を記録するため、カメラマンとインタビューワーがアメリカ、ヨーロッパ、ロシアそして南アメリカを旅行すること
  • この証言記録のコピーと永久保存版を作成すること
  • プレゼンテーションの時の概要説明用に撮った証言を編集しておくこと

最終的にはこれらの証言は、全世界を対象にした、証人やその他の証拠を発表する計画になっている公開ドキュメンタリーの作成に使われる。」

「プロデューサーであるジェイムス・フォックスが制作し、主なテレビ放送局で、今年の後半に放送されることになっている、UFOドキュメンタリーのビデオテープの販売権がCSETIに寄付され、更に10万ドルがこのプロジェクトのために使われることになった。」

これは、スティーブ・グレアーの経過報告書の重要な部分を訳したものです。

·  1999年6月 「エキストラテレストリアル・コンタクト」出版

私的イベントのひとつとしてあげられていた、ET、UFOについての概説本「エキストラテレストリアル・コンタクト、その証拠と波及効果」を出版した。以下はその序文である。

「1993年12月13日、私と家内はクリントン政権の最初の中央情報局(CIA)長官ジェイムス・ウールズィーに会うためワシントンに飛んだ。この会合の真の目的を隠すため、その会合は、中央情報局(CIA)長官ウールズィーとその夫人、スー・ウールズィー博士(国立科学アカデミーの会長)とその会合をお膳立てしてくれた人物とその夫人だけの、ただの夕食会ということにした。その会合の直前、私がET、UFOに関することを中央情報局(CIA)長官に説明する最初の人物になることを知らされた。ウールズィーはET、UFOについての調査を依頼したが、政府関係の機関からは何も公式な報告を得られなかった。」

「当然私は、ET、UFOに関する証拠、証人の証言、写真、ビデオテープそして政府機関の書類などをブリーフケース一杯に入れて持ってきた。短い挨拶と冗談を交わして本題に入った。」

「中央情報局(CIA)長官と夫人は1960年代の後半に昼間、ニューハンプシャーで実際にUFOを見たことがあることが分った。そのため10分か15分ほどの証拠説明の後、ウールズィーは「UFOが存在するのは知っている、それよりも、それがどういう意味を持つのか話して欲しい。」と言った。」

「この本はそれがどういう意味をもつかを書いたものである。この本には揺るぎない証拠、決定的証拠となる政府機関の書類と写真等が掲載されているが、この本の主題はET、UFOの意味にある。心の開いた人ならば誰でも、ウールズィーのように、一握りの証拠、政府機関の書類、信頼性を証明された写真を見て、何かが本当に起こっていると結論できる。しかし、次のような興味深い話題も取り上げられている。「何故彼等はここにいるのか。」「どのように秘密が守られて来たのか。」「我々の社会にどんな波及効果が持たらされるのか。」「真実の公開がどのような意味を持つのか。」「いかにそれらの飛行体が乗組員の生存期間内に星間飛行を行いある場所にたどりつくことができるのか。」「何光年もの宇宙空間をいかにリアルタイムで通信できるのか。」等々。」

「ここに掲載したものはこれらの課題と、他の沢山の重要な課題を説明しようとしている記事を集めたものである。証拠をあげるだけならば簡単であるが、それを理解し説明しようとなると非常な努力がいる。この本はそれを試みているが、人類史上最大の謎の一つを解明しようとする試みの第一歩にすぎないことを読者に留意したい。これは今後の研究により更に解明される。そして次の千年を真近にひかえ、我々の将来を見通している真実をかすかに凝視することができる。」

「そして、それは1993年12月の夜のこと、我々は2時間半をかけ、中央情報局(CIA)長官と国立科学アカデミーの会長とでこの謎の背後にある意味を討論した。秘密を完全に公開した時の地政学的な波及効果について議論したこと、現在の世界の公害のすべてのみなもとを取り去ることのできるETの先進技術を公開した時の波及効果について説明したこと、宗教界が秘密公開に対してどのように反応するか議論したこと等が思いだされる。しかし、私が一番好ましく思いだすのはスー・ウールズィー博士の「しかし、彼等はどのようにして宇宙の広大な距離で通信を行っているのかしら。」という質問である。私は緊張して唾を飲み込み、瞬間的に彼女に本当の事を話さないことを考えたが、もし彼女の知覚が鋭くてその質問をしているのなら、多分、私の答を聞く用意ができていると思った。そしてすぐ、「彼等の通信システムは我々が精神、思考と呼んでいるものに関連した存在のある現象に接合した技術で、この現象は我々の時間と空間を完全に飛び越すことができるものです。」と言った。そして驚いたことに、ウールズィー博士は微笑を浮べて、「私もそのような方法でなければならないと思っていました。」と言った。」

「彼女はそれを理解した。そして、あなたも理解できるに違いない。」

これは、この本の序文を訳したものです。残念ながら、現在ではその内容はアクセスできません。

·  1999年12月 20世紀最大の秘密の公開

私的なイベントの最も重要な要素であるメイジャー・ネットワークにおけるドキュメンタリー・シリーズの具体的な内容を発表。

ドキュメンタリー・シリーズの概要

ETが実在するという揺るがせない証拠を持った証人が存在し、産軍共同の隠れたグループが、この真実に50年間、しっかりとふたをしていた。事実、最近得られた証拠は人を動かさずにはいられないものがあり、深く隠された政府機関や軍で働く証人は、命がけで、秘密を話したいと言う意志を持っているため、このドキュメンタリー・シリーズは事実上、政府による秘密公開と言える。非営利団体であるCSETIの創立者でありインターナショナル・ディレクターである、スティーブ・グレア医師の調査と研究をもとに、このドキュメンタリーはUFOとETに関する最善で最も信頼性のある、検証済みの証拠から成っている。1990年以来このような極秘プロジェクトに関わっている証人を見つけているグレア医師は個人的に、中央情報局(CIA)長官ジェイムス・ウールズィー、国連事務総長ブト・ガリーの家族、前英国国防大臣で5つ星の元帥であったヒル・ノートン卿、ヨーロッパの国々の指導者や王室、統合参謀本部の高官、国防省の要人(元帥や将軍)、数多くの委員会の議長を含む米国議会の上院議員と下院議員、その他に説明を行なった。事実上 これらの高官はこの公開に対して「ゴー」のサインを出しているが、公開後の影響を怖がっている。このためこのような私的な公開に踏み切った。このドキュメンタリー・シリーズは普通のタブロイドUFOの内容や従来のUFO番組とは全く違い、「60ミニッツ」か「ノバ」エピソードのように優れた内容をもたらすものになるだろう。最もはっきりとした、検証された、点検された証拠と、政府機関と軍関係の証人だけがこのシリーズに登場し、水準の高い研究と本当の調査の報告がこのシリーズの中心である。

証人の概要

次のリストはグレア医師がみつけた、公の場で証言したいと望んでいる最高機密を知っている一部の証人の証言である。

  • 証人A:1963年8月、南大西洋でICBMテスト・ミサイルの回収の仕事を請け負った船の船長。ある晩、UFOがレーダーで捉えられ、その後急に見えなくなった。よく朝、船長はUFOが姿を消した 場所に誘導され、3人のETを乗せた、およそ1.8m四方の脱出装置を見つけた。一つずきの飛行服に覆われたそれぞれのETは背丈 1mでオリーブ色の顔をし、4本指であった。この証人はETを動かしたり、運んだりしたため、それらのETの生態について詳しい情報を持っている。この証人はこれらのETがいかに海軍の原子潜水艦に運ばれた か、そして脱出装置がいかに他の艦艇に移され、運ばれたかを知っている。
  • 証人B:MSM;1981年10月、ノーフォークにある北大西洋司令部に勤務する、最高機密と特別に隔離された情報機関のクリアランスを持ったこの証人は、宇宙から飛来した直径100mの円盤型のUFOが米国東海岸に現れ、複数のレーダーとKHー11スパイ衛星によって長時間追跡された事件当時、北大西洋司令部に居合わせた。この証人はこの事件の初めから終まで、その一部始終を北大西洋司令部のコントロール・ルームで目撃した。ホットラインによりそれがソ連のものでもアメリカのものでもなくUFOであることが確認された。海軍元帥X(我々はこの元帥が誰であるか知っている)はこの飛行物体を強制着陸させるかあるいは撃ち落とすよう命令を下し、ジェット戦闘機が陸と大西洋上にいる空母から緊急発信した。UFOの推進装置は想像を絶するほどのもので、レーダースクリーンの走査線が1周回る間にニューファウンドランド(カナダ)の海岸線からフロリダのジャクソンビルまで飛行した。1機の戦闘機が写真を撮れるほどの近距離に瞬間、近ずいてこの飛行物体の写真を撮った。この写真は後で拡大され、海軍元帥Xのために大西洋司令部の大きなスクリーンに映しだされた。この証人は遭遇、追跡のすべてに居合わせ、それに続き、巨大な金属の円盤の写真を見た。
  • 証人C:GF少佐、ニュージャージー州マクガイア空軍基地の空軍情報部(21空軍情報部)、1978年11月のある朝仕事にやって来たところ、コントロール・ルームが大騒ぎになっていた。UFOが昨夜、基地の境界線を破って基地に侵入し、その後、滑走路の外で射たれ殺されたと分った。そしてその朝、基地の将軍にこの出来事を説明するよう言われた。GF少佐はこの事件の詳細を集め将軍への説明の準備を始めた。ところがその後オハイオ州デイトンにあるライト・パターソン空軍基地から「ブルー・ベレット」が飛来し、指揮権を取ってしまった。Cー141輸送機が来てETの死体をライト・パターソン空軍基地へ運んでいった。証人Dは憲兵で、場所を移すまでETの死体を守って死体のそばに立っていた。(証人Cは証人Dを知らない)
  • 証人E:エドワード空軍基地の航空管制官で、1965年エドワード基地の施設の上に現れた7機のUFOの長時間に渡る詳細な遭遇に居合わせた。UFOは4時間以上に渡りレーダーに捕捉され、それを追跡するためジェット戦闘機が緊急発信された。機上のレーダーでUFOを「ロックオン」するたびに、UFOは消え、すぐに他の空に現れた。またある時点でUFOは着陸もした。我々は以前から、UFOの遭遇で緊急発信した際の航空管制官とジェット・パイロットの交信を録音したテープを見つけ、所持している。そのテープの記録はこの重要な証人の証言を証明している。
  • 証人F:旧ソ連宇宙飛行士PP、この最も多くの勲章を受けた旧ソ連の宇宙飛行士はパイロットの時代と宇宙飛行士の時代の両方で数回に渡りUFOに遭遇し目撃している。この元宇宙飛行士はそれらの遭遇について詳しい説明をしたいと願っている。
  • 証人G:サンディア国立研究所の技術者、この技術者はETによりもたらされた素材と先進技術を研究、利用しようとしている仕事に直接従事しいるため、このようなプロジェクトの事を良く知っている。この証人はまた、そのようなETの技術を転換しようとしているプロジェクトを取り巻く、秘密を守るための保護組織や、どのような装置がどのように応用されているか説明することができる。
  • 証人H:GB、海軍パイロット、1951年、海軍のVIPを乗せ北大西洋を飛んだ飛行機の機長で、その時副機長と一緒に海の真ん中に浮かぶ小さな都市のようなものを見た。彼等はガンダー・レーダーと連絡をとり、その物体がレーダーに映っていることを確認した。そのUFOは1、2秒で50Kmを飛行し、その飛行機の目の前に現れた。衝突を避けるため自動操縦装置が外された。UFOはその飛行機の側を飛び、そしてものすごいスピードで遥か彼方に飛び去った。UFOが非常に接近した時、UFOから受けた電磁作用によりジャイロスコープが回転し 、コントロールが出来なくなった。この時のUFOの大きさは直径100mと推定される。この遭遇の証拠となる公式な政府の書類、報告書はこのパイロットが手に入れ、現在、我々が保管している。
  • 証人Iと証人J:お互いに知らない2人の別々な証人、これらの証人は異る場所で、違う時に、NASAでUFOの写真やETの月面基地の写真を見たことがある。証人Iはフォード・エアロスペースのコントラクターとして、ジョンソン・スペースセンターで働いていた時、衛星が捕らえた昼間のはっきりと写った、地上に影を落している円盤型のUFOの写真を見た。彼女がこの写真をどうするのか聞いたところ(彼女 はその写真が公開されるものと誤解していた)、その写真は、他の写真と同じように、NASAの秘密でない部門や他の政府機関に渡される時は、あらかじめ修正され、UFOは写真から取り除かれると聞かされた。証人Iは月面軌道衛星が捕らえた月の暗い面にある広大な人口建造物 を示す写真を見た。
  • 証人K:SL少佐は尊敬の厚い弁護士で、1959年から1961年の間、国防省で暗号解読の専門家として働いていた。1940年代の後半、ニューメキシコ州でUFOが墜落し、その時回収した金属の残骸を見せられ、その異常な特性に驚かされた。彼はその残骸に書かれたETの文字を見た、そしてそれが陸軍の暗号解読班によって研究されたがまだ(1959年の時点で)その暗号は解読されていないと言われた。また彼は、時の大統領アイゼンハゥワーがこの事に興味を持ち、この事を知っていたが、ETの先進技術に関わるプログラムについての重要な情報から遠ざけられていた事実も知っている。SL少佐は当時から現在まで、陸軍予備少佐として、最高機密のクリアランスを持っている。
  • 証人L:1940年代の戦略情報部隊の将校で、UFOの墜落場所に直接行ったことがあり、UFOで使われている機器、装置も墜落で死んだETの死骸も直接見たことがある。
  • 証人M:DD、空軍の特別調査部で働く、数々の勲章を受けた将校で、アリゾナ州のフォート・ホシュカ(陸軍情報本部)にある地下施設に勤務していた。彼はUFOに関する最近の秘密プログラムについて詳く知っていて、フォート・ホシュカの貯蔵所にある数機の回収したETの飛行物体とETの死骸を誰にも知られずに見たことがある。彼はUFOに関する事を操作している超機密グループの本質も知っている。 証人Mは非常に信頼性の高い証人であるが、自分が知られるのを恐れているため、秘密(変装)にしておく必要がある。
  • 証人N:JW中佐、尊敬の厚い空軍将校で広報担当、1969年NE空軍基地の戦略核兵器施設上空を飛行した巨大な、推進音のしない三角形のUFOによる長時間の遭遇に居合わせた。そのUFOはレーダーでも捕捉され、その地域の他の人々にも目撃された。広報担当官として この証人は、この様な事件がいかに何もなかったように否定され、秘密にされ、視点が転換させられるかを知っている。
  • 証人O:旧ソ連宇宙飛行士、数多くの勲章を受け、テストパイロット、宇宙飛行士として勤務している間、数回に渡る、疑いのないはっきりとした遭遇を経験している。
  • 証人P:JW空軍大佐、墜落したETの飛行物体の回収と研究に関わる秘密プログラムで働き、利用しようと研究しているETの先進技術がどの様に応用されているか、そしてこの事に関する秘密の組織と情報操作について詳しく知っている。また、国家安全保障委員会や他の情報機関、そして軍のプログラムにも参加し申し分なく信頼できる。
  • 証人Q:KS、最高機密クリアランスを持った、米国空軍航空管制官であり、レーダー・オペレーターであるこの証人は、ミノットND戦略空軍司令部(ICBM)に勤務している時、レーダーで数回に渡り異常なUFOを捕捉した。その時、垂直に真上に向かって、重力に逆らって、静止から時速1万Kmに加速すると言うような驚くべき飛行性能を記録、報告した。
  • 証人R:マーキュリー計画の宇宙飛行士で米国の英雄であるゴードン・クーパーは1959年代円盤型のUFOをはっきり目撃した。また彼の部隊がエドワード空軍基地に着陸したUFOのフィルムを撮ったという経験もある。そのフィルムは将軍の乗る飛行機で国防省に運ばれたが、以来そのフィルムを見ていない。
  • 証人S:海軍元帥ヒル・ノートン卿(5つ星の将軍)、英国国防大臣、そしてMIー5、MIー6の長官でもあったこの証人は知るべき地位の人が何も知らないと言う逆説の例である。この証人は彼の事例を記録に残したいと願っている。彼は現在、ET、UFOが存在すること、そして彼の在任期間中にUFOに関するプロジェクトが運営されていたことを知っているが、彼の英国国防大臣としての在任期間中、そのようなUFOに関するプロジェクトについては何も知らされず、闇の中に置かれていた。この逆説はこの事を取り巻く機密の異常な深さを物語っている。20世紀で最も数多くの勲章を受た軍人の一人として、彼の見識は歴史的な価値があり、注目せざるを得ないし、彼の経験はこの事に関する先例のない機密保持の深さを示している。
  • 証人T:MS、米国空軍レーダー・オペレーター、航空管制官であるこの証人は1972年オレゴン州カラマス・フォルにある施設の上空を数機のUFOが飛行した時そこに居合わせた。彼は、コロラド州チェイン・マウンテンにあるNORADが、決められた手順としてUFOの情報を流し、UFOの飛来を警告し、軍用機をUFOの進路の付近に誘導していることを知っている。またオハイオ州で低空飛行をしているUFOをレーダーで捕捉したことがあり、このあと警察の車が田舎町でUFOを追いかけ周すことになった。

追記:ここに取り上げた人々と同じのような体験をしている証人が他にも数名いるが、ここに取り上げた証人が、広範囲に渡る時代と地域の、様々な軍と情報機関の活動を代表するものなのでこれだけに留めた。これらのすべての証人はその情報が真実であることを宣言する文章に署名することを強く望んでいて、その事件とプログラムについて米国議会で誓約の基に証言を行ないたいと願っている。

これは、スティーブ・グレアの「秘密公開」の一部を訳したものです。

·  2001年5月9日ナショナル・プレスクラブでの記者会見とキャンペーン・ツアー

1990年に米国のノースカロライナ州にある病院の救急病棟の医師、スティーブ・グレアによって創設され たCSETI(Center for the Study of Extraterrestrial Intelligence)はスターライト・プロジェクト (UFOを取り巻く秘密の公開を米国議会の公開聴聞会で行わせようとするプロジェクト)と第5種接近遭遇 (我々人類の方からETを呼び寄せる活動)を2つの柱として活動してきた。その活動の経過としてローズ ウェル事件の50周年にあたる1997年4月には米国首都 ワシントンのウェスティン・ホテルで米国議会の 議員とその秘書を集めて、UFO、ETに関する公開聴聞会を米国議会で開くよう呼びかけた。この時には数人 のUFO、ET事件に直接かかわったことのある証人が出席し、体験談を出席した議員やその秘書の前で話し た。有力な数人の議員が出席し、CSETIの活動目標と体験談に感銘を受けた様子だったことから、この計画 が予定通りに展開して行くかに見えたが、どの議員もそれ以後、自ら進んで行動を起こそうとはしなかった。 そのことについて出席した議員は、我々が行動を起こすためには米国民とメディアの声が必要だと主張した。 当初の計画通りには進まなかった議員説明会ではあったが、これにより多くのUFO、ETに関して直接体験を もった証人が、以降CSETIに投降して来た。1999年の時点で、その数は200人に達した。米国政府と 議会にたいする直接の働きかけがうまくいかなかったことを受け、CSETIは方針を大きく転換し、米国政府 や議会を直接相手にするのではなく、メディアを通して米国民と世界に訴え、やがてその米国民と世界の声が 米国議会議員に公開聴聞会を開かせる力になるだろうと考えた。その準備として2000年の8月から100人 におよぶUFO、ETに関する直接体験をしたことのある証人の証言をVTRに記録するディスクロージャー・プロジェクトを開始 した。これらの証人には多くの、米国政府の資金で運用されているET技術のリバース・エンジニアリング・ プロジェクトにかかわっている技術者も含まれている。これらの技術者の証言は反重力推進装置の開発から、 それを搭載した人類の作ったUFO、そして真空から無限にエネルギーを取り出す技術を開発するプロジェクト 等におよんでいる。これらの技術は人類が未来に向けて限りなく発展して行くためにはなくてはならないもので あり、これ無くしてはエネルギー枯渇か環境破壊のどちらかでこの文明は22世紀を待つことなく終焉を迎える可能性が高い。 このプロジェクトは予定よりやや遅れて今年、2001年の3月に完了した。120時間に及ぶオリジナ ル・テープは永久保存され、それをもとに編集された18時間のダイジェスト版と証言の内容を書き取った 1200ページの文書が作成され、計画されていたプレス・コンファレンスの準備が完了した。

2001年5月9日、米国の首都、ワシントンにあるナショナル・プレス・クラブで20余人のUFO、ETに 関する直接体験をした証人の出席のもと、政界人や世界の著名なメディアを集め「秘密公開」に向けて記者会見 を行った。この記者会見の模様はCNNにより数回にわたって全世界に 報道された。

5月9日の米国首都ワシントンでの記者会見の後、 ディスクロージャー・プロジェクトはコロラド州ボールダー のコロラド大学を始めに、カリフォルニア州のサンフランシスコ、バージニア州のシャーロットビルでキャンペーン活動を 行った。

このキャンペーンは50人に及ぶ政府機関や軍関者のUFO やETに関する出来事やプロジェクトに関する証言のフィルム の上映とディスクロージャー・プロジェクト のディレクターであるCSETIのスティーブ・グレアの プレゼンテーションから構成されている。

このツアーは2001年の終わりまでに下の各地を訪問する 予定である。

  • カリフォルニア州、ロスアンゼルス
  • カリフォルニア州、サンディエゴ
  • フロリダ州、マイアミ
  • ワシントン州、シアトル
  • ブルティッシュ・コロンビア州、バンクーバー (カナダ)
  • オレゴン州、ポートランド
  • オレゴン州、セイルム
  • マサチューセッツ州、ボストン
  • 米国首都ワシントン
  • ニューヨーク州、ニューヨーク
  • オンタリオ州、トロント (カナダ)
  • ニューヨーク州、バッファロー
  • ジョージア州、アトランタ
  • ノースカロライナ州、シャーロット
  • ノースカロライナ州、アッシュビル
  • アリゾナ州、フェニックス
  • テキサス州、ダラス
  • 英国、ロンドン

CSETIの「UFO、ETに関する秘密の公開」のホームページは こちらです。

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